「軍港 観光のドル箱」に疑問 ― 2014/06/13 15:18

2014.6.9朝日新聞夕刊1面

6月9日付の朝日新聞夕刊の第一面を見て、ビックリした。と同時に、市民として恥ずかしかった。
 大きく縦に「軍港 観光のドル箱」の見出しがあり、その横に「米海軍の街・横須賀」の横書き白抜き見出し、と「海外気分、67店米貨幣OK」の横書き中見出し。

大見出しの横に書いてあることは事実であるが、この様におおっぴらに書かれると疑問が湧く。
「海軍カレーにネイビーバーガー、軍港めぐり……。神奈川県横須賀市で、米軍と自衛隊の基地を観光に生かす動きが強まっている。人口減で停滞する地元経済の活性化を狙った市などの取り組みが功を奏し、観光客は増えつつある。一方で市が掲げる基地返還の方針との矛盾を指摘する声も出ている。」

多くの街がそうだが、市の財政は横須賀市も単年度では赤字。人口は減少の一途を辿っている。明治40年、神奈川県で2番目に市となり、2001年には中核市の指定も受けたが、昨年末には41万人を切り、藤沢市に抜かれて神奈川県で人口5番目の市になってしまった。今年の1月に総務省が発表した2013年の人口移動報告では、転出超過人数が日本一になってしまった。自動車会社の工場閉鎖や一部移転、電機や事務機器・IT関連機器会社の事業転換による影響が大きいと思われるが、東京により近い方に住民が移動しているという大きな流れを止める程の魅力が横須賀市にはないということなのだろう。中央の商店街は、大規模小売店の撤退や売り場面積縮小で、昔の活気が消えつつある。

だから何とか魅力ある街にしたい、という事で打ち上げた花火なのだろうが、戦争につながる組織やその施設を売り物にする事に対しては、「反戦平和」を旨としている私にとっては認めがたく、そして恥ずかしい。

かく言う私も、防衛大学を含めて、それら施設見学が主になっているガイドツアーや近代歴史遺産の見学に参加したりしているのだが。

ペリー来航以後、横須賀は日本海軍の基地として成長してきたし、今は自衛隊や米軍の存立を支えているのだから、それを隠す必要もなく、むしろ利用した方が良いのではないか、という方便も分からないではない。しかし、現状是認だけでは当座はともかく市の将来はないのではないか?併行して、軍港離れした斬新な方策が欲しい。

2014.6.9朝日新聞夕刊1面#2

軍港頼みの方策への疑問は、付け足しのように、この記事の最後に「基地返還に逆行の指摘も」、という見出しの下に書かれている。

「こうした盛り上がりに、米軍基地を監視する「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の新倉裕史さんは疑問を感じるという。市が11年に示した基本計画で「米軍基地の返還、自衛隊施設の集合・統合」を掲げていることを挙げ、「基地観光への依存は基地返還の目標と矛盾しないだろうか」と指摘。軍港を「平和産業港湾都市」に変える理念を定めた50年(1950年)の旧軍港市転換法(軍転法)との整合性も取れていない、と問題視する。」

サラリーマン川柳 ― 2014/05/23 13:42

 今朝のことである。(いつも大体そうなのだが)先に起きた妻が既に昼ご飯のためのお米を磨いでいて、プラスチックのボールにその磨ぎ汁が残されていた。我が家ではそれを庭の植物の栄養としてあげている。いつものごとく、その行為をしようとして、妻に「これはあれするのね?」と訊いた。そうすると、即座に「” これはあれする” では分からない」と反応した。妻は、最近、言葉に異常に早く反応する。要注意である。
 最近、私は歳をとったせいか、以前に比べて単語が出にくくなっているのは確かなのだが、今日の場合はそうでなかった。歳を取るとせっかちになる傾向がある。今日もそのせいか、せっかちに言葉を発したから、「これ」と「あれ」になったのである。手元を見るか、状況判断すれば分かると思ったのだ。しかし、妻は手元は見ていないし、別の事に頭が行っていたのだろう。
 私も妻の言葉に頭に来て、「あなたも最近は同じ様になってきたぞ」、と反論したから、妻はむくれて会話しなくなってしまった(昼ご飯は作ってくれたが)。

 そうこうしながら、新聞(朝日新聞2014年5月23日付け朝刊)を読んでいると第一生命保険発表の第27回サラリーマン川柳コンクール上位10作品が載っていた。
 ちょっとビックリした。第2位に以下の川柳が載っていたからだ。
 「もの忘れ べんりな言葉 「あれ」と「それ」」

 今朝の私の場合には「もの忘れ」ではないが、思わず苦笑いしてしまった。

「自由なる生活」においても「選択と集中」 ― 2014/04/01 17:24

 「自由なる生活」2年目の目標として、「自分だけの所有物の片付け」を掲げた。
 「自分だけの所有物」とは、妻の頭の中では「本」であるらしいが、私の頭の中では、MAC関連の雑誌のスクラップや、周辺機器、デジカメ、PDA(Personal Digital Assistant、個人情報端末)、PCソフト、音楽ソフト、映画ソフトなどなど、まだまだ一杯ある。
 妻の頭の中の「本」は小説やその他一般の書籍の類らしいが、MAC関連や技術(化学、自動車)関連も結構あるのだ。おまけにそれらのスクラップや報告書のファイルも多い。
 ともかく、何とか今年中に目処をつけたい。どこに何があるかくらいにスッキリさせたい。

 ある時、ふと思ったのだが、仕事も「選択と集中」が大事であるが、”自由なる生活”においてもそうではないのかと。
 目処が立ったならば、自分史を作ったり、小説を書いたりもしたいのだが、それは横に置いておかねばならないだろう。
 ホームページやブログの作成も、ぼちぼちやるしかない!?

自由なる生活1年目の総括と2年目の目標 ― 2014/04/01 16:42

 もう桜の季節、4月となってしまった。「自由なる生活」になってから、1年4ヵ月が過ぎた。
 昨年の11月末で「自由なる生活」の1年目を終了したのだが、総括していなかった。勿論、頭の中では整理し、今年の目標も年明け前に作ったのだが。
 取り敢えず、昔のブログなぞを見返しながら総括したい。
 当初は、「悠々自適」や「晴耕雨読」の様な生活を夢見ていたのだが、すぐにその夢は妻に依って打ち砕かれた。よくよく考えてみれば、そんな夢のような世の中はとうの昔に無くなっていたのだ。ここ3〜40年で女性の力が異様に強くなり、男性と拮抗してきた、というよりはむしろ男性より強くなったのだ。ましてや、私の場合には他人には言えない結婚前の事情があり、言いなりになるしかないのだ。
 指示された家事手伝いは拒否できない命令に等しい。
 加えて、妻のご機嫌もとらなければならない。孫の顔を見に行ったり、温泉旅行も頻繁にある。
 健康を維持するために、週2日スポーツジムに通うのも自分の為というよりは妻の為という性格が強い。
 まあ、そんなこんなで家事・雑事の時間が多く、細切れ状態の自由時間では、まとまった事はしにくい。
 だから、以前、書いたように昨年の途中から当初計画していた事を殆ど諦め、「自分史」の作成を優先しようとした。
 それも殆ど出来ないうちに、男性の「健康寿命」が70歳程度であることを知った。妻は事あるごとに、”私はあなたの本などは捨てたくないから、早く捨てて頂戴”、と言う。
 私も昨年の誕生日で高齢者になってしまった。”70歳か、そんなに時間はないな!”、という気持ちになり、今年は「自分だけの所有物の片付け」を最優先とした。

 1年目の総括は以下の通りである。
1)小説を書く…構想のみが頭の中でくるくる変わる
2)読書…家では殆どできていない。外出した時、電車の中や病院、カフェなどで読んでいる
3)HP・ブログ作成…時間が足りなくて、ネタばかり貯まっていている
4)自分史作成…少し手を付けたが、その後、中断
5)語学学習…当面諦め
6)映画鑑賞…時々見るのが精一杯
7)カメラ散歩(遠出)…当初は頻繁にしたが、今は中断
8)技術史作成…できていない

就活は続く ― 2014/02/05 11:37

 「このブログについて」に書いたが、日々のネット生活のためのネタが溜まりまくっている。また、ブログとは何か、そしてどうしたら一人でも多くの人に読んでもらえるかをを考え、「定年者のつぶやき」というカテゴリを設け、日々行ったこと、考えたことを書いていこうと思う。

 昨日は仕事を紹介する業者(業者という言葉には偏見がつきまとう感じがするが、外来語を使うのは詳細な業態が分からなくので敢えて使う)から、1月8日に面接(面談)した会社への就職が駄目になった、というメールが来た。
 培った経験や蓄えた知識が活かせる仕事でもあるし、週4日程度フルタイムで働かなければならないが月々数十万円の実入りがあるという事でその面でも期待していたので、正直、気落ちした。
 今でさえ十分でない「自由なる生活」なのに、仕事をやるの?、と私の知り合いなら思うかも知れないが、どうせ不十分な「自由なる生活」ならば、いっそもっと不自由にしてこのストレスを打開したいという考えもある。もちろん、何が自由で何がストレスかは、その時の考えにも依るが、いずれ十分な「自由なる生活」を勝ち取るための一つの道程、あるいは中休みと自分勝手に思っていたのだが、残念である。