O君の期待に応えて2016/07/05 22:49

 昨年、元の職場の同僚(後輩)から、以下のような年賀状をもらった。
「今年、還暦となります。アドバイス、お願いします。」
 そう言われても、アドバイスできるような事はそうそうない。なぜなら私も退職して3年しか経っていないので、未だ未だこれだというものをつかみきっていないからだ。
 今年の年賀状では、別の部署に異動したことが書かれていただけだった。部長のままらしいので、未だ現役と言えるだろう。人的資源や年金資源の事を考えると、将来は70歳くらいまでは働かされるだろう。そうなってからの退職後は、どんな感じになるのだろう。

 多くの人は、昔のイメージのままで「悠々自適で良いですね」などと話しかけてくる。私も退職する時には、「いよいよ悠々自適だ」、と思ったものだが、とんでもない話だった。個人的(家庭の)事情とも言えるかも知れないが、食事の後片付けや風呂掃除、自分の洗濯物干し、ゴミ出しなど意外と家事手伝いに時間を食う。退職前に考えていた事(映画鑑賞、HP・ブログ作成、自分史作成、小説創作など)の半分(いや1/3?)もできない。これが実情なのだ。

 厚生労働省の調査では、2015年の平均寿命は男性80.79歳、女性87.05歳、65歳の平均余命は男性19.46歳、女性24.31歳である。確かに昔よりは大分長生きするようにはなった。しかし、自由に動ける状態でいつまでいられるのか、それによって、これから何ができるのか、やるのかが決められてしまうだろう。

われわれは過渡期にある2016/01/16 21:37

 朝日新聞朝刊、鷲田清一の「折々のことば」(282)は、
 シモーヌ・ヴェイユの
 ”われわれは過渡期にある。しかし何にむかっての過渡なのか?それについては誰も少しもわからない。” であった。

 昨年のいつ頃だったかは覚えていないが、”世界は今過渡期にある”、と私も思い始めた。だから、この哲学者の言葉には惹かれた。
 今は政治的にも、経済的にも、社会的にも混乱している。5年後、10年後の世界は予測がつかない。高齢者の私が生きているうちにも、大きな変革があるかもしれない。われわれは一体どこに連れていかれるのだろうか?

小説と舞台の言葉の違い2015/12/21 17:26

 活動が狭くなっても新聞は読むのだが、本が読めなくなっている(読まなくなっている)。いや新聞は現役時代よりは、詳しく読むようになっているだろう。色々と示唆されたり、触発されたりする事も多い。これから、そんな文章や言葉について書き綴ってみたいと思う。最初は新聞からではない。NHKラジオで週一回やっている「英語で読む村上春樹」11月号からだ。始まった当時は、ネットでラジオ(らじる★らじる)を聴いていたが、いつの間にかそんな時間もなくなり、本だけを読むようになった。それも時間が追いつかないので、未だ12月号の始めの方を読んでいる。今は「眠り」(Sleep)が題材になっている。ハルキの小説は短編と言えども殆ど読んでいるので、この「眠り」も読んだはずなのだが、ストーリーは全く覚えていない。もっとも、本を読むのは対象作品を読むのが目的ではない。対象作品や他のハルキの作品に対する解説や評論、対談が載っているので、それを楽しみにしているのだ。11月号の対談のゲストは翻訳家の平塚隼介さん。彼が、言葉について示唆的な発言をしている。
「以前、東工大のネイティブの英文学の先生に小説と舞台の言葉の違いというのを伺ったときに、たとえば日常の言葉というのがまん中にあったとすると、それよりたくさんの言葉を積み重ねるのが小説の言葉で、日常の言葉をぎゅっと圧縮して一言にまとめるのが舞台の言葉だとおっしゃっていて、そのことは常に念頭にありました。」
 う〜ん、納得できる事である。小説を書くなら「日常の言葉よりはたくさんの言葉を積み重ね」なければならない。

このブログの行く末2015/12/21 16:43

 2013年に「定年過ぎたら自由なる生活」とタイトルを変えた。そして、2014年には「晴れもあり、曇りもあり」なる副タイトルを付け、”このブログについて”に、「副タイトルを付けました。自由な時間ばかりではないからです。そして、溜まりまくるホームページやブログのネタを含めて日記風に「定年者のつぶやき」として記録していきます。」と書きましたが、一向に事情は良くなりません。良くならないばかりか、悪くなるばかりです。
 少しずつ”家事手伝い”の時間は増え、自由は狭まっていく。加えて、ブログも増やし、FBを立ち上げ、ツイッターまで始めて、どうにもならなくなって、映画、版画などを見に行く外出時間を減らしたにも拘らず、やりたい事ができずストレスは溜まるばかりです。全ては、あれもやりたいこれもやりたいと思う自分が悪いのは分かっています。でも、やれそうな気がするんです。話しが不満話になってしまいましたが、本当に書きたかったのは、このブログをどうするかです。今では、増やし続けたHP、ブログ、FB、ツイッター、写真投稿サイトの数を合わせると26もあります。仮にいずれのサイトにも書けない事を書くとしても、このブログに書くべき事はそうそうありません。「定年者のつぶやき」なんか書いても誰も読まないでしょう(いや、そうでなくても読まないかも知れません)。誰の役にもならない事を書く気にはなりません。
 だから開き直りました。昔々のように「ごった煮」でいいんではないか?と。そうそれで、今後は、新聞などを読んだり見たりして気がついた事を書きます。棲み分けはうまくできるかどうか分かりませんが、日々の活動はFBやブログに書きます。

「競馬」関連の記事は移動しました2015/05/01 11:10

「競馬」関連の記事は、このブログにはふさわしくないと思い、新たに作成したブログ ”暇人の競馬でイマジン”に移動しました。